デジタルが当たり前になった今, このことは古くて新しいモンダイです。
そんなめんどくせぃこと考えずに使いたい人は使えば良いのだが, またフィルムメーカーの元気が見えなくなっている昨今考えてみたいこと。叫ばねばならんのだ。...宿題。
そんなめんどくせぃこと考えずに使いたい人は使えば良いのだが, またフィルムメーカーの元気が見えなくなっている昨今考えてみたいこと。叫ばねばならんのだ。...宿題。




圧倒的な「撮った感」とプリント(手焼き)が気に入っているから。撮影後はお店に任せられるから楽。フィルムは残ると思うけど、手焼きしてくれる店が先に無くなってしまいそうで心配です。
撮った感ありますね。それが何に起因するのかっ!?
そしてプリントですね。特にプリントはまともなものを知らないと言葉で説明しても分からないとこですね。
今そのあたりについて人にきいたり,ネットで探したりして「フィルム月1」サイトに書くネタを考えています。真面目に調べると面白そうです。
フィルムしか使えないカメラがあるから。
そして紙焼き前提だから。
だからfilmがなくなると困るのです。
DPEショップはいまや風前のともしび。
いっぽう、
自前でフィルム現像や焼き付けをする作業は、
もはや“伝統工芸”的技術にならんとしています。
銀塩市場をなんとか保ちたいというのであれば、
「撮影後工程の効率化」(まったく進捗がみられない)
に主題があるのではないでしょうか。
フィルムメーカーに“ノーブレス・オブリージュ”は期待できない。
表現の手法としての道具
フィルムが合っているから、
デジタルが合っているから、
動画・ビデオが合っている、
絵が上手だから絵を描く、
楽器の演奏ができるから奏でる、
自分に合った道具で自己を表現している
ただそれだけなんではないでしょうか。
道具の供給も
市場原理で需要が減れば供給が減る
仕方の無いことですね。
流石sa55さん,その答えナイスですね。
私の意見のひとつもそれです(^^).
それですね。縦横に張り巡らされていた日本の奇跡的インフラ?現像ラボが崩壊してます。DPEにプリントを出さなくなった分,自宅のプリンターでプリントしているとも思えません。
ディスプレイによって写真を見ることを最終出力としてしまう機会が圧倒的に多くなったことが原因でしょう。
むしろ普通の人にとっては処理後の工程は写真屋に預けた方が簡単じゃないかと想像するのですょ(実際そのへんも現状はどうなのか知りたいとこです)。
jetさん,ありがとうございます。おっしゃるとおりだと思います。
しかし!それでは身も蓋もないので(^^;)考えてみたいのです...まったく暇ですねぇ。俺は。
ぼんやりとした印象でしかありませんが、デジタルフォトがこれだけ広がりを見せ、かつ深まってきたからこそ、フィルムしか持ち得ない、フィルム(及び紙焼き)ならではの表現や手法が見直されてきていると思います。私などは一度(ほぼ)リタイヤして、その後デジタルフォトにより復帰してきたような者であるから、尚の事そういう印象なのかもしれませんが。
、、、この後、すっごく長くだらだらと書いてしまったので、そのうちウチで記事にまとめてみます(^^;
それはあると思います。我々一般人には。
もともと写真技術の本質を知っていた方たちは惑わされないんじゃないかと思います。
そんな「便利速い安い」と違うところに居る人にとっては面白くない状況であるに違いありません。
お前ら勝手にデジタルに走るだけならいいけれど,俺たちの大事なものまで無くすなよ..ってところでしょう。
フィルムと印画紙が手作り出来れば何も言うことはないのですが。←このあたりに一つ目指すものがあると思います。
昔から撮影の殆どはポジフィルムによっていました。
ただ、太古より写真の根本はプリントにあると考えます。
プリントすることによりはじめて、日本人が生真面目に「写真」と称したような客観性が生まれるんだと思います。
透過で見るか、反射で見るかによって、人がモノを見る際の客観性は大きく変わります。
これは実体を手にできるできないということよりも大きな問題だという気がします。
私がデジタルで撮ったモノを「イメージ」としか呼ばないのもこのためです。
一方、機械がなければ撮れないのはデジタルでもフィルムでも同じですが、一眼レフ一つをとっても、デジタルではあまりにおかしな具合に変わってしまい、昔できたことができなくなった現状は私にとっての大問題です。
デジタルは結果のみですが、フィルムはプロセスを含めた環境が整ってはじめて一般が使い続けられる・・この事実にわれわれは今更ながらに愕然としています。
こんばんは。
なるほど,透過か反射かというのも考えてみないといけない問題ですね。この件についてはわたくし,全く考えがまとまっていません。
機械がなければ..の件。そのデジタルの「あまりにおかしな」とは我々の掌(たなごころ)に納まり切れないところへ行ってしまったことによる不満だと思うのです。
写真の機械は文字通りのBlack boxなのですが,昔のカメラは中身が明らかでコントロール自由なBlack boxでした。が,デジタルのそれは本当のブラックボックスと化してしまった。そこに感光材料以外のもうひとつのイライラがあるのですね。