真っ暗な壷の中にゼラチン入れて, そこにお湯といっしょに2種類の透明な液をかき混ぜながら加えます。さらに温度を上げて追加のゼラチンと数種類の液と色素を加えて、ゆっくりと時間をかけて熟成させ冷やして固めて出来上がりぃ。ちょっと乳白色の固めのプリンとなりました。
このプリンを再び暖めて数種類の液や粉を加えて透明なPETに塗ればモノクロフィルムの出来上がり。
この撮像材料の良いところは,光を当てるだけで画像情報を記録、保持し、多少の化学処理をすることで画像の表示(ディスプレイ)もし、さらに保存までしてくれること。
WikiPediaによると, 1827年ニエプスと言う人がアスファルトに光を当てるとその部分が硬化して水に溶けなくなることを発見したのが写真の最初だとか言われているが, 写真は生まれたその時から, 光そのものがつけた跡(記録)を保持して定着しディスプレイし, そのまま後世に残す存在であったのだ。
世は移り変わってデジタルの世界になったら,それに比べるとびっくりするくらい遠回りのことをやっている。記録, 保持, 表示, 保存のためには別々の道具が必要。そのルールも複雑怪奇。しかもなんと光を当てた跡そのもの、つまり現物が残らないことになっちまったのだ。
何故にフィルムで撮りたくなるのか。
デジタルによって写真が飛躍的に便利になったように感じている裏で失われた「光の点けた跡」。その喪失感に我らの原始のDNAが違和感を覚えるからに違いないと俺は思っている。ニエプスがアスファルトの硬化を利用するもっともっと前から, 俺たちの祖先はモノに光が当たって色あせたり, モノの形が重なった物体に写ったりすることを体験して来たに違いないのである。
デジタルによって失われたこのだいじなもの。これに気付いて気になってしまったが最後, フィルムは手放すことが出来なくなる。少なくとも俺は。原始の心が呼び戻された感覚だ。
得られる結果は同じなのに(いや, デジタルの方がずっとイイかも知れないのに)なんだか嘘っぽい感覚。並べてどっち?と聞かれて分からなくてもだ。
ダイレクトな光の跡が心を打ち,時には衝撃をもたらすことは言を俟たない。こんな話をしたら奥さんに例えが良くないと叱られた。
...忌わしくも強い光が人の影を石段に残してしまった記録。俺はいまだにその現物を見ていないが。二度とあってはいけない光の記録だが, けっしてこの世から消えてはいけない重要な現物の記録だ。
---
そんな大事な原理をもつ貴重なフィルムの生産が終わってしまってはいけない。デジタルと共存するためには何をすべきだろーか。...つづく。
このプリンを再び暖めて数種類の液や粉を加えて透明なPETに塗ればモノクロフィルムの出来上がり。
この撮像材料の良いところは,光を当てるだけで画像情報を記録、保持し、多少の化学処理をすることで画像の表示(ディスプレイ)もし、さらに保存までしてくれること。
WikiPediaによると, 1827年ニエプスと言う人がアスファルトに光を当てるとその部分が硬化して水に溶けなくなることを発見したのが写真の最初だとか言われているが, 写真は生まれたその時から, 光そのものがつけた跡(記録)を保持して定着しディスプレイし, そのまま後世に残す存在であったのだ。
世は移り変わってデジタルの世界になったら,それに比べるとびっくりするくらい遠回りのことをやっている。記録, 保持, 表示, 保存のためには別々の道具が必要。そのルールも複雑怪奇。しかもなんと光を当てた跡そのもの、つまり現物が残らないことになっちまったのだ。
何故にフィルムで撮りたくなるのか。
デジタルによって写真が飛躍的に便利になったように感じている裏で失われた「光の点けた跡」。その喪失感に我らの原始のDNAが違和感を覚えるからに違いないと俺は思っている。ニエプスがアスファルトの硬化を利用するもっともっと前から, 俺たちの祖先はモノに光が当たって色あせたり, モノの形が重なった物体に写ったりすることを体験して来たに違いないのである。
デジタルによって失われたこのだいじなもの。これに気付いて気になってしまったが最後, フィルムは手放すことが出来なくなる。少なくとも俺は。原始の心が呼び戻された感覚だ。
得られる結果は同じなのに(いや, デジタルの方がずっとイイかも知れないのに)なんだか嘘っぽい感覚。並べてどっち?と聞かれて分からなくてもだ。
ダイレクトな光の跡が心を打ち,時には衝撃をもたらすことは言を俟たない。こんな話をしたら奥さんに例えが良くないと叱られた。
...忌わしくも強い光が人の影を石段に残してしまった記録。俺はいまだにその現物を見ていないが。二度とあってはいけない光の記録だが, けっしてこの世から消えてはいけない重要な現物の記録だ。
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そんな大事な原理をもつ貴重なフィルムの生産が終わってしまってはいけない。デジタルと共存するためには何をすべきだろーか。...つづく。




いいですね、今日のコラム!
とっても素敵な文章で感じ入りました(^^)b
示唆に富んだ良いコラムですね。カメラに限らずデジタル物に違和感を持つのは人間のDNAに刻まれた本能に反しているからでしょう。われわれは目に見えるもの、手で触れられるものだけを本物として認識しようとする性質を持っています。
光の痕跡は撮像素子の上に一瞬だけ電荷の蓄積として現れる。しかしその痕跡はメモリーに記録された瞬間に跡形もなく消えてなくなってしまう・・・その嘘っぽさが本能的にデジタルを偽物と認識させているのでしょう。
アナログ写真とデジタル画像は全く別物だと思うのです。
撮像素子が得た情報とそれを参考に組み立てたRAWは完全に別物です。それをさらに参考にして塗り絵したJPEGはさらに別物です。それをコピーしてパソコンに取り出したJPEGはまた別物です。
前半はコンピューター処理の基本ですし、後半はノイマン型アーキテクチャーを踏襲する限り回避不能ですし、最後まで突き詰めると記録における真贋性の問題が出ます。デジタル画像がアナログ写真と置き換わる事など永遠に訪れないと思いますよ。
フィルムとデジタルの違いは
私の認識では
解像と階調にあると思っています。
解像の方はフィルムの撮影粒子がどのぐらいの大きさなのか
よく解ってませんが
デジタルの撮影素子がそこまでたどり着くのであれば
同じになる、、と思っています。
(現状どれだけの差があるのでしょうか)
そしてもう一つの色や明暗の階調
これはフィルムと光が起こす化学反応でありそれは無段階にあると思ってマス。
(違うかな?)
それに対してデジタルは符号化するにあたり有限の数値に変換されます。
そこが違うところだと思いますね。
原本のもつ情報量の豊富さはデジタルがフィルムを
追い抜く事はないのかもしれません。
実質WEBにあげる為にデジタルデータにするとかいうのであれば、(しかしソレが目的である場合)
デジタルで撮った物で十分だとも思うのですが
オリジナルデータは豊富な情報を持っていて欲しい
という、スペックオタク的な私にとても魅力なのです。
錯覚かもしれませんが,真面目に撮りたいものはフィルムでないとどうもインチキっぽくていかんのです。
楽器にも同じことが言えると思うのです。
電気の楽器ってここぞというとき細かいニュアンスが出なくてイライラすると思われます(エレキギターは別 あれはアコースティックな楽器)
やっぱり表現する道具はダイレクト感が命ですね。
らーじゃー。
おっしゃる通りデジタル,アナログの別は記録方法の違い。欲しい画像が得らるならばどっちがどうこうと議論することはハナから空しい。
まずそのことを共通認識として話を始めないと混乱しますね。
光が直接刻んだ記録(フィルム)とそれをもとにして再度光を当てて刻み直す作品(印画紙)という表現手法を気軽に実現する製品たちがこの世から無くなってしまって良いものか? という問に直すとだいぶクリアになると思われます。
フイルムの起源を1827年のニエプスとすれば
デジタルの起源は1969年ウィラード・S・ボイル氏とジョージ・E・スミス氏のCCD発明でしょうか。
183年のフィルムと41年のデジタルそこには142年の差があるわけで
デジタルカメラはここ10年程の技術だと言う事を考えると
まだまだ取って代われる様な代物では無いのかも知れません。
また、フィルムとデジタルの違いはひと言で言ってしまえば
「余韻」がもたらす思い入れと期待の増幅感
撮ってすぐに結果がわからないフィルムは
現像されるまで結果がわかりません
その間、期待と不安の時を撮った光景を思い返しながら
脳裏にも焼き付けられる。フィルムの「余韻」
これが心地よいのです。
コラムの中で、奥さんとこう言う話をされていると言うのが
素晴らしいと想いました。
ウチなどは、2台目のカメラまでは報告していましたが
それ以降は告知せず、カメラが変わっているのも解りません
まぁ、それだから良い部分もあるのですが(汗)
子どもは、流石に「あ、銀色のカメラ」と鋭いです。
私は違いの本質はそこではないとおもいますぉ。
技術が進めばデジタルの解像度はフィルムを凌駕します。実際すでにもう超えていると言って良いレベルになってるようです。
諧調に関してはハイライトからシャドウまでの全体を眺めると意外にデジタルも広くなっていて、HDR等を使えばモノクロネガをも超えることも出来るようです。
フィルムとデジタルの違いは画像情報の質の差ではなく、その存在そのもの(原理)に本質があり,フィルムの存在価値があると思っています。
しかーし、例えば暗部ばかりの写真やハイライトばかりの写真をプリントしようとすると私の未熟な技術ではデジタルはダメダメですね。ブロックノイズやトーンジャンプが酷くて全く話にならない。
なんとか見れるように誤摩化すだけで何時間もかかります。フィルムならただ焼くだけ。トーンジャンプなんて出そうと思っても絶対に出ません。
そういう意味でPhotTonさんおっしゃるアドバンテージは間違いなくありますね。と思います。
基本は、眼の前にある光景をどうにかして「固定」したいという「欲求」。
その気持ちの前には、デジタルだろうがアナログであろうが大した意味はないと思います。
絵筆を持っても良いし、カメラを持っても良い。
問題は欲求をなんらかの形にしたいと思う衝動があるかないかデス。
その衝動を感じさせるものであれば、それは意図出来た作品と言えるのではないでしょうか。
アナログであれ、デジタルであれ、もっとそういう作品(写真、映像、絵画他)を見たいと思います。
2次的な効果としてその心理的な影響も見逃せませんね。プリントした実体が年月を経て、単なる画像を超えて「ブツ」としての存在を主張する時にもその素晴らしさを実感します。
私のところも報告はしませんぉ。増えても気付きません。子供は怖いのですね。私もガキのとき「おかあちゃんには内緒な」という親父のセリフを何度か聞きました(^^;)
さすが師匠。写真の発明の原動力はそこですわね。
スポーツの激しい一瞬をとどめたければ間違いなく最新鋭のデジタル一眼を使うわけで,何がフィルムカメラだバカヤロウとなりマス。
技術の歴史はその前にあったものをある意味否定することから発展してきました。ゼラチン銀塩がそれ以前の手法を駆逐したのもそうだった。
デジタル画像の発明はその原理を根本から変えてしまうモノで画像の歴史になかった大変革なのでしょう。それに違和感を感じるのは私の身体にあるDNAのなせるわざ?というのが今回の駄文でした。
同時に従来の原理を使ったフィルムという製品が亡くなってしまっていいいのかい?という呼びかけでもあります。かまわねぇと言う声もたくさんあるのでしょう。
前にも話したと思いますが ーこんなこと言うと怒られますがー 写真展行っても本当に面白くない。どれもこれも同じに見えて。現代美術のあのパワーに比べたら屁みたいなもんだと思っちゃいます。そういう意味でこんなくだらねぃ議論してないでもっと面白いモノ撮れと言われたらまったくそうだと強く思うのもまた確かなのです。
初めてコメントします。フィルムかデジタルかという問題ではなく目的によって使い分ける事が大事だと思います。
arataさんの言われている「写真展に行っても面白くない」というコメントがありますが、その通りだと思います。
面白くない理由は、デジタルだとかフィルムの問題ではなく、日本の若手の作家の方向性が非常に内向きなのとまなざしがやさし過ぎるような気がします。
上海から日本の写真情報を見ていると、日本の写真家達の情報がほとんど入ってきません。これは、上海に限らず他の国も同様なのではないでしょうか。
写真集専門の本屋に行っても日本人の写真集は片手で数えられるほどしかありません。
それは、なぜそうなっているのかを考えてみる事も大事だと思います。
入って来るのは、デジカメの情報のみです。
感銘を受けました!
光・・・まさに 私もそれだと思います。
カラーであろうと モノクロであろうと フィルムで捉えた 光は デジタルとは違う気が 前からしていました。
また上海君さんのおっしゃられているように ソフト の面でどうも日本は弱いですよね 他の分野でもそうですが・・・
これだけ カメラ、車、二輪 を世界に供給したのだから ソフトの面でもとおもいます。
フィルムの楽しさは機械がまだ人間と対話してくれるのも一つかなと。
バイクなんかもそうですが あるところから 使っているのが 使わせてやってる というような機械のほうが進んじゃうんですよね・・そうすると そこまでポテンシャル高いと 冷めちゃうんですよね
とにかく フィルムにしろ デジタルにしろ 選択肢は多いほうがよいのでがんばってください!
又、フィルム 自体も なんか進化 しないですかね
まぁ 完成されすぎた物は 突然 この世から 消滅するようですが・・
化学と科学の違い。呪術と理屈の違い。魂とられるのがフィルム。魂とられないのがデジタル。自分は両方好きですが....。
satoboはarataさんをカメラの世界から写真の世界へ引きずり込もうと画策しているのです(笑)。
その基本はハードでもソフトでもなく、「心」の問題だと思いますよ。
他の美術に比べて、明らかに「心」が見えないのが「日本の」写真ではないかと上海君さんも言っていると理解しました。
おおお!盛り上がっていますね。感光材料から心の見え方まで。
楽しいですね。今日は、東京都の公園で8X10カメラを使っての撮影でしたがおこられました。商用の撮影には許可が必要と、しかし私は友達の結婚の記念撮影で私用ですと。
係員の言うにはスナップのようなのはいいけれど三脚に大判カメラはいけませんという。
2カットだけで終了になってしまいましたが。こんな大掛かりな所もフィルムの楽しさ。写っているかも確認できません。祈るばかりです。
祈りながら撮影する、いいじゃないですか。
私の写真のほとんどは記念写真なので、この祈りが失敗したときでも記憶になる。
巷では、低感度フィルムに暗いレンズで更に絞って撮ってる輩を不良と呼ぶらしいですよ。
でも原始のDNAを否定する人はチンピラ止まりとか。笑
感覚的に非常に共感します。
デジタルデータ一般がメタレベルでのデータになってしまっているので、それを取り扱っている現在のコンピュータインターフェースにデータを取り扱っているという実感が依存してしまっていて、それが嘘くささの一つの原因かなと思います。
キーボードとマウスなんてダサいものをいまだに使っているわけです。実感が湧くわけがありません。
個人的に危惧しているのが、より進化したインターフェースを有するコンピュータが出現したとき、さらにデジタルデータの取扱い特化された世代が出てきたときの「フィルム」の説得力の弱さです。
もはやセピア色の写真を見て「古さ」を感じることがない世代が出てきてしまっています。恐ろしいことです。
また、技術の歴史を振り返ってみるとよく見られる現象ですが、新技術が出たときには揺り戻し現象が見られます。活版印刷が出たときに写本に価値が置かれたようにです。写本への揺り戻しは100年弱ほど続きましたが、フィルムをめぐる揺り戻しはその動きが早すぎます。あっという間に消えてしまうのではないかという不安があります。
フィルムを使うことが、揺り戻しではなく、さらに世代を越えて「すばらしい」と感じられるために、とにかくフィルムを使うという習慣をより前面に打ち出すしかないのかなぁと、とりあえず考えています。
「フィルム使うってかっこいいよね」みたいな。
はじめまして。でもsatoboさんのブログのコメントで何度か拝見してます(^^)
大変参考になるお話、ありがとうございます。日本の写真家に優秀な人はたくさんいると思うのですが発表の機会がないのでしょうか? パワーが今ひとつなのでしょうか?
日本の無名?写真家達を紹介するJapan Exposureなんてサイトがあるくらいだから、チャンスが少ないだけかもと思ってます。
カメラだ、デジタルだ、銀塩だ..などという次元で騒ぐのではなく、写真の中身のハナシが大事ですね。
こんばんは。キカイはうまく作るけどそれを使いこなす文化が育たないという印象は確かにあります。私みたいにデジカメのあれがどーの、これがどーのとブログに書くのがそういうアホな側面の傷口を広げる役を果たしているとも言えます(^^;)
まぁ最近はその得意だったはずのキカイ作りでさえ、アジアの国々に負けそうな状況でヤヴァイと思ってます。
フィルムの進化! 素晴らしい言葉です。恥ずかしながらここんとこ考えた事もありませんでした。コダックが少し前にEktarを、富士がなんだか忘れたけど(^^;)出した時は嬉しかったのですが。
あの時から一段と元気がなくなってますね。
私も両方好きです!
ただフィルムは昔の車みたいに手を突っ込んでいろいろいじくれるので、もっと遊んでみたいと最近思ってます。
satobo師匠からは常にそのフォースを感じております。
私もすっかり大人になってきてカメラいじくりが飽きてきましたから,今年は心を入れて写真を撮ってみましょうかと思ってマス。
ねらいは有るのですが、行動力が伴わないのでうまく行くかわかりません。そー簡単にうまくなんて行くもんじゃないか。
いままで無かったくらいにコメントをもらってコメント返すのに難儀してます(^^;)
都会では自由に撮らしてもらえないと言う問題があるのも去年8x10を体験して知ることが出来ました。
今年はどうしようかな。風のように据えて撮って風の様に去る練習をせねばならんかも知れません。
祈りながら...すばらし。これも大判フィルムの儀式として重要ですね。それからタムタムさんのように写真を撮る自分を記録するというのも興味が有ります。Heroでの操作記録も面白いです。
なるほどです(^^;)
そういう撮り方が今面白く感じてます。先日もあるイメージでそれをやって失敗しましたが。
今日,昼間30分露光しました。文字通り「光のつけた跡」出来ました。
大変勉強になります。
将来がこわいですね。でもそんな世代のガキたちにも(^^;) デカいカメラのピントグラスに写った逆さの像を見せてやると驚きます。紙にアートエマルジョン(Fujiの乳剤)塗ってその紙にモノを乗せて光を当てると跡が付くのを新鮮な目で見ます。
複雑なキカイが無くても只のハコや紙から絵が出て来ることに驚くのは、人の持ってる好奇心の根っこを揺さぶるからかなと思っております。
それから「揺り戻し」という現象を初めて知りました! すごく面白いです。
>フィルムをめぐる揺り戻しはその動きが早すぎます。あっという間に消えてしまうのではないかという不安があります。
あれまっ。じゃああんまり騒ぎ立てない方がいいのかな? と思ってみました。
(ところでにょしさんはそのあたりを研究なされている方なのですか?)
arataさんへ
上海から毎日このブログを読んでます。
日本の写真家に優秀な人はたくさんいると思います。しかし、彼らが外に出にくい状況があると思います。
1-写真をまともに扱う写真雑誌がない事。(カメラ雑誌と写真の雑誌は違う)
2-言葉の問題。(ご存知の通り海外では英語がスタンダード)
3-日本の地理的な問題。つまり海を越えなければ外に出られないという事。
4-純粋に写真について議論する場が伝統的に非常に少ない。
5-言葉で相手に物事を伝える事に慣れてない事(遠慮がちで曖昧)
6-写真についての視野が国内向きな人が多く外を意識していない。
7-最後に写真やカメラについて潔癖すぎる事。つまり、小さな事にこだわりすぎる人が異常に多い。それでは、前に進む速度が遅くなります。
まぁ、私も人の事をとやかく言える立場ではないですが、海外から日本を見ると写真に限らず他の仕事関係も同じ事がいえます。
こちらの写真関係者で日本の作家の名前があがるのは、数人の大御所の名前しか聞こえてきません。
でも、日本のカメラ雑誌の一部が、中国語に翻訳されて出版されているので
日本のカメラの情報だけはみんな知ってます。
私も時々日本に帰りますが、日本は他国とまったく違う文化を持っているので非常に面白い国だと思います。
それは、私も海外に住んでから見えて来た事です。
話は変わりますが、日本から色々な人が上海に来ますが、その人達は不思議と必ず元気になって帰って行きます。(帰った後は知りませんが・・)
それは、今の日本の閉塞感からくるような気がします。つまり、社会全体に元気がない。
arataさんの言われる「写真展が面白くない」というのは、このような事も影響しているかもしれません。
一度、気分を変える意味でも上海に遊びにきませんか?私が面倒見ますよ。
返信その2
arataさんとTokyo8x10組合連合会のみなさんと銀塩ファンの方へ
今「久保元幸印画研究室」のサイトで超大判カメラの写真を見る事ができます。
と言ってもflickrでしか見る事ができませんが、刺激になりますよ。
写真家小林正昭氏は、8x10と35mmフィルムのパーフォレーションなしフィルム(コダクローム25を特別に輸入)でほとんどの撮影をやってきた人です。
私の師匠でもあり、今でも現役の元気おやじです。
次回、展示があれば是非お勧めしたい写真です。
上海君さん,すばらしき情報をありがとうございます。
色々いろいろiroiro考えさせられます。
久保元幸印画研究室はチェックしていた気でいましたが,見逃してました。これはワクワクします!
> 複雑なキカイが無くても只のハコや紙から絵が出て来ることに驚くのは、人の持ってる好奇心の根っこを揺さぶるからかなと思っております。
たしかに素朴な驚きは体験してしまうと虜になってしまいますよね。この路線はいけそうですね。
> あれまっ。じゃああんまり騒ぎ立てない方がいいのかな? と思ってみました。
騒いで騒いで一つの文化になれれば勝ちかと思います。(^^;
写真の誕生が絵画を駆逐しなかったようにでしょうか。
> (ところでにょしさんはそのあたりを研究なされている方なのですか?)
技術史は専門では無いのですが、面白いので読んでるだけです。(^^;
ところで、参考になりそうなメモをブログに書きましたので、よかったら見てください。
了解です。大学の先生なのですね(@_@)
フィルムとデジタルのどっちが好きかという問題は意外に奥が深そうなのですね。